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21 February 2008,Thursday

戦国浪漫ぶらり旅~美濃国 岩村編③

★完成された近世の城郭には無い魅力が戦国時代の城にはたくさんあります!★城といえば、姫路城や熊本城、彦根城など天守閣を持つ立派な建物のイメージがありますが、この岩村城は苔むした石垣だけしか残っていない山の上にある城です。僕が心惹かれるのは戦国時代を駆け抜けた何も語らない大小様々な城跡。小学生からの趣味はライフワークになりそう!なんてね(笑)

↑見事な6段積みの本丸虎口の高石垣。標高727mの山頂に築いてあるだけでも感動ものです。

◆岩村城は日本三大山城の一つとして有名ですが、実は戦国時代には東美濃の戦略的要害として織田信長と武田信玄が覇権をかけて争奪戦を繰り返した場所です。天下統一後は檜舞台から遠ざかりましたが・・・◆
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↑最近復元された山麓城主居館跡の太鼓櫓。1610年に当時の岩村藩主だった松平家紀が山頂の本丸での政務は不便として藩主屋敷を建てました。

◆ここ岩村城は鎌倉時代に築城され、以後明治維新の廃藩置県に至るまで実際に政務の中心として機能していた全国でも珍しい山城です。(なので、現在では築城より800年以上!すげぇ)

【ちょっと歴史探訪~岩村城攻防戦】
『序章』
戦国時代には美濃を平定した織田信長が隣接する武田信玄の領地である信濃の国への押さえとして、この地を治めていた遠山景任に自分の叔母(お艶の方、またはお直の方と言われていますが、信長よりも年齢は若かった)を嫁がせて守備を固めていました。
しかし城主であった遠山氏が病没してしまい、女城主となったお艶の方は信長の五男の御坊丸(当時6才)を養子として迎え家臣とともに采配を振るいました。(地元で女城主という旗が多いのはこの史実に基づいたもの)
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↑太鼓櫓から安土城張りの石畳で出来た立派な大手道(藤坂という名前)をテクテク登ると「一之門」

『抵抗』
1571年、武田信玄が都に「風林火山」の旗を立てるべく大軍を2つに分けて発進。東海道を進む信玄公率いる本隊は徳川家康を三方ヶ原で撃破。信濃の国より進んだイケメン秋山信友率いる別働隊は東美濃に侵入し岩村城を攻撃。お艶の方は信長の援軍を待つため、城兵とともに城に立てこもり持久戦となる。しかし周囲を強敵に包囲されて八方ふさがりの信長は、岩村城に援軍を出せない。
後詰の無い篭城戦で城兵も焦燥し食料も無くなり、女城主お艶の方は兵士の命を助けるという約束で、イケメン秋山信友の降伏勧告を受け入れる。(むさい武田武将の中でもホントにイイ男だったらしい)

↑本丸の脇の埋門という特殊構造で特殊部隊用の櫓門の石垣。メタルギアのスネークが潜んでいそう

『戦国ロマンス』
通常であれば女城主お艶も追放される運命なのだが、皆さんご存知の通り、織田信長の家系は美男美女揃い。(本人はもちろん妹のお市の方、その娘の茶々など3姉妹)お艶の方も御多分に漏れず美女だったようで、イケメン秋山は一目惚れしてしまいこの美貌の未亡人に対して結婚を申し入れ夫婦となり岩村城の城主となる。戦時中に、主君の宿敵の親戚を嫁にするとはいい度胸の旦那です!しかも信長の五男を人質として信玄の元に送ってしまったので、当然信長は怒り心頭となるが、どうにも出来ない。
がしかし、戦国ロマンスのひと時は長くは続かなかった・・・。
↑岩村城は別名「霧ケ城」。敵が攻めてきたときに、この井戸に何か投げると霧が発生する言い伝え

『僅か三年間の幸福の終焉』
信玄が没し、1575年に息子の勝頼を長篠の合戦で破り、武田軍が弱体化したこの年、織田信長は息子の信忠を総大将として信濃、甲斐へ武田討伐軍を向かわせる。「怨み」は絶対に忘れない潔癖症の日本史上稀に見る英雄が、最初に総攻撃をかけたのが「イケメン秋山夫妻」のこの岩村城。さすがに要塞だけあって5ヶ月間耐えるが、最後には食料・水も尽きて城兵の命の保障と引き換えに降伏開城。
が・・・・イケメン秋山信友の信長に対する考え方は甘かった。「約束は時と場合によっては破られる事もある」降伏した兵士を皆殺しにして、更に秋山信友、後妻となったお艶を長良川の川原で「逆さ磔」にして処刑。(普通の磔ならまだしもワザワザ逆さにするあたりは、よほど怨みが深い)
叔母であるお艶の方も「叔母に対してこのようなむごい仕打ちをするそなたには近いうちにきっと天罰が下る」と絶叫して息耐えたと伝えられている。(やっぱこの一族は怨み節が似合うンだなあ~)
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『ノストラダムスの予言よりも恐ろしいのは・・・』
お艶の言葉通り岩村城に宿泊して80日後、信長は武田を滅亡させたのち本能寺の変で生涯を終える

『おまけ』
★信玄の元に人質として送られた五男信吉は、そののち解放され武将となるが本能寺の変で長男の織田信忠とともに二条城で戦死。
★イケメン秋山信友を滅ぼした信長は、岩村城主にジャニーズ系の美少年「森蘭丸」を指名するが、80日後に信長と共に本能寺で倒れる。兄の森長可が跡を継ぐが秀吉・家康の「小牧・長久手の戦い」でまたも戦死。弟の森忠政が城主となり城下町を整備。
★長野県とは縁が深い
⇒森忠政は岩村藩主の時に、関ヶ原の戦いで功績を挙げ、信州の川中島の松代藩主となる
⇒1702年、信州小諸から松平乗紀が岩村藩へ入城し以後7代に渡り明治維新まで続く
★ここから明智鉄道で終点に行くと「明智城跡」がある。明智光秀の出生の地とか言われてるが、定かではない。むしろ将軍家旗本で北町奉行(南町奉行も歴任)「遠山金四郎」が殿様だった事の方が有名。
↑??の売店です。残念ながら冬期間は閉店。ひょっとすると店主はビジュアル系かも(笑)

長~~いブログ最後まで読んで頂き、ありがとうございました。次回は美濃岩村編の最終話です。お楽しみに!(今度は短いはず・・・)

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