今回は、大河ドラマの話題ではありません。
実は今年の4月から、上田市飯沼公民館の「初心者向け古文書講座」に参加しています。
この講座は、上田歴史研究会(上田飯沼史学会)が主催し、元長野県立歴史館課長の阿部勇先生を講師として、もう二年半も前から続けられているものです。古文書解読の教材は主に、江戸時代飯沼村の郷倉に残され、現在「飯沼区古文書保管庫」に保存されている膨大な古文書の中からセレクトされます。
去る3月と4月は『上田で発見された新資料に見る安政7年3月3日桜田門外の変 ~江戸からの速報』というテーマで行われました。
そう、ご存知の通り今年は、大老井伊直弼が水戸藩浪士に殺された桜田門外の変から丁度150年という年なのです。
映画でも吉村昭原作の『桜田門外ノ変』が製作され、ただ今上映中です。(残念ながら上田ではまだ公開されていないので、私は未だ観ていませんが、これをきっかけに原作も読んだので必ず観るつもりです)
2010 『桜田門外ノ変』製作委員会より
この時の教材は、安政7(1860)年3月10日付の飯沼村の生糸商吉池文之助に宛てた、江戸に滞在していた息子の由之助からの手紙でした。今風に言えば、東京支店長から本社の社長に書いた手紙というところでしょうか。
手紙の冒頭部分には、次のように書かれています。
三月三日朝五ッ時頃
井伊掃部頭様御登城先桜田御門外ニ而
水戸家之浪士拾七人程及狼藉刀並短筒等を
相用即死怪我人多分有之御当家以来之大変
恐多も井伊様十ニ(に)九分九厘九毛御落命と申義ニ御座候
以下、当日の天候(大雪)、井伊直弼の登城行列の服装、そして襲撃・斬り合いの様子が、まるで見てきたかのように生々しく書かれています。
更に、襲撃に参加した水戸藩浪士17人の名前が書かれています。
4行目の上段に【関新兵衛】という名が見えますが、これが映画『桜田門外ノ変』の主人公である関鉄之助です。映画では、大沢たかおが演じています。
この手紙から
・幕府は、今風に言えば内閣総理大臣が暗殺されたと同様の重大事件を秘密にしていた中で、事件から1週間後には詳しく報告していた情報伝達の早さに驚きます。
・襲撃浪士の名前なども、江戸市中の噂話だけを頼りに書いている中で、一部字の間違いなどはあるものの、かなり正確でその情報収集力が高かったこともわかります。
襲撃参加者は、水戸藩浪士の他に薩摩藩士一人が加わっていたので、正確には18人です。
切り合いで1名が即死した他ほとんどは、重症を負い自刃したり、自首後斬罪されたり、逃亡後に捕縛され斬罪となり、事件から8年後の明治維新を生きて迎えたのは二人のみでした。襲撃の現場総責任者であった関鉄之助も、現場から逃亡後、翌年の10月に捕らえられ、投獄後事件から2年2ヶ月後に斬首となりました。享年39才。
一方、襲撃を受けた彦根藩井伊家の家臣たちも無事ではありませんでした。士分26名の内、襲撃により8名が死亡した他、後に主君を護れなかった責任を問われ、死罪7名、入獄8名という厳しい処分を受けました。
襲撃した側もされた側も、当事者だけでなく家族や親族まで大きな犠牲を伴うものになりました。
古文書から、事件の方に話がいってしまいましたが、古文書講座に参加して感じたことは、地元の歴史を深く知ることは、日本の歴史そして世界の歴史を知ることになるということです。郷土史という穴を覗くと、日本・世界が見えてくるとでもいいましょうか。これは教科書で歴史を学ぶアプローチとは違います。
事実、飯沼村の古文書の中には、幕末には上田の生糸をヨーロッパに向けて輸出していたことや、外国為替の相場に関する情報なども記録されています。
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上田市飯沼公民館の「初心者向け古文書講座」は、誰でも参加できます。(受講料は無料)
ちなみに11月の講座は、17日(水)午後6時半から『上田飯沼の火薬製造人、藩命を受け、堺(大阪)へ』です。
また、翌月には地元の「丸子テレビ」で録画放映もされています。