《東北沖太平洋沖地震から2週間が過ぎました。
被害に遭われた被災地の方々には心よりお見舞い申し上げます。
懸命な復旧作業と原発被害拡大防止など現地で懸命に取組んでおられる関係者の方々には心から感謝申し上げます
私たちに出来るのは、無駄の節約、節電ぐらいですが、一日も早い復興と皆さんの笑顔の戻るのを願って声援を贈り続けます》
先日、母方の祖母が逝去しました。享年102歳。いわゆる大往生ですね。
西暦1909年(明治42年)生まれの祖母なので、明治、大正、昭和、平成と年号を4回生き抜いた凄い人でした。
中学生になるまでは、毎年お盆と正月には一家でお邪魔して田舎の行事を堪能し、従兄と日が暮れるまで遊び呆けていた事が想い出されます。
早くに夫を病気で亡くして、僕の母を含めた五人の子供を第二次大戦前から終戦直後まで懸命に育てた苦労人でもありましたが、僕たち孫にはとても優しいお婆ちゃんでした。
祖母の住んでいた望月町は日本三大火祭りの「榊祭り(さかきまつり)」が有名で、毎年8月15日は両親や親せきの叔父や叔母からお小遣いをもらい、夜店をハシゴしたものです。
「年長者の葬式は目出度い」
僕の大好きな黒澤明監督のオムニバス映画「夢」の第八話「水車のある村」で水車小屋の老人を演じた故笠智衆さんが云っていました。
「良く働き、良く生きた・・・・・その証しである葬式は本来目出度いものなんだ・・・」
↑何故かほっとする水車のある風景。日本人の証拠ですw(映画のロケ地の安曇野にて)
言い方は良くないかもしれないが祖母の葬式は「目出度い」部類なのだと思う。
伊藤博文が暗殺された年に生まれ、翌年に日韓併合。「坂の上の雲」から連なる時代を生きて来たお婆さんは日本の歴史の生き証人でした。
いつも着物姿のお婆さんに、若い頃の自慢や苦労話、楽しかった事などを聞かせてもらえるタイミングはいくらでもあったのに、今となっては後悔ばかりです。
お婆さんの律義な一生に乾杯! 人生お疲れさまでした。
お酒が好きで、飲むと必ず歌っていた「望月小唄」は僕の心にその張りのある声と共に明治の女性像として永遠に刻まれています。
合掌。