【坂城神社の由緒】
創祀年代は不詳。式内社・坂城神社に比定されている古社。
口碑によると、景行天皇四十年、日本武尊が東征のおり、碓氷峠から埴科の県に来られた時、当地日野の里(日名)で住民と共に祖神を祀ったのが起源。
その後、天武二年(673)、この地で治国平天下を祈念して社殿を奉建したのが当社の創祀であるという。
坂城郷の郷社として、中世以降は坂城大宮と称された大社。
境内地は、五里ケ峯(1094m)の南麓にあるが五里ケ峯には戦国武将の村上氏居城・葛尾城などがあり、境内の近くには村上氏館跡・満泉寺がある。
天文二十二年(1553)、城主・村上義清が、武田晴信の攻略にあい越後へ走った際、兵火にかかって社殿が焼失し、古記録等も焼失した。その後、武田晴信によって社領が寄進され復興したという。
明治四年に郷社に列格し、昭和十二年十一月県社に昇格した。
境内左手には厳島神社、境内右手には、「甲子」や猿田彦大神などの石碑。天満宮、蚕国神社、子安神社、古峯神社などが祀られている。
※テキストは玄松子の記憶様のHPより引用させていただきました。
坂城町出身の「美しすぎる銅版画家」(最近やたらと使われるこの語句は嫌いだが・・)として注目を集めている小松美羽さんもプロフィールには「狛犬研究」とある。
※小松美羽オフィシャルサイト⇒http://miwa-komatsu.jp/
屋根付きの狛犬ってのもあまり見かけませんが、どうなんでしょうかねえ・・(汗)
【坂城神社の狛犬】 坂城町指定文化財(種別:彫刻)
天和二年(1682)、石川市左衛門義孝奉納の銘が刻まれてる。寄進者は、天和二年(1682)~元禄十六年(1703)までの二十二年間坂木に陣屋を置いていた坂木藩板倉氏の家臣である。
狛犬の容姿は、板状台付き一石彫成、全体小型であるが胴はよくしまり、胸の張りも広く引き締まった姿をしてる。頭の後ろに処理されている巻き毛の作りも丁寧である。獅子の独特な面相を持ち、前方を睨んで神社を守護する風格がある。造形的にみて中世の面影が認められる。
製作は江戸時代中期頃で、町内の石造物としての狛犬では古い方になる。
顎の割れるようなイイ男は、本当に顎が割れてしまった・・・(汗)
最近は神社が近くにあると必ず「狛犬さん」を見学しに行くように心がけてます。
そうしていると、いつか「狛犬スイッチ」が入るんじゃないかと思っていますが・・・・(笑)
何気なく通り過ぎてしまう神社ですが、「苦しい時」だけじゃなくて、時々訪れてみましょうね(爆)