皆様 新年あけましておめでとうございます
真田家家臣横谷(よこや)でございます
大河ドラマ「真田丸」スタートと合わせ平成28年最初のブログ担当の栄誉を
大変嬉しく思います
今年もよろしくお願い申し上げます
1月10日(日)「真田丸」第一回放送「船出」を観ました
堺 雅人さんがインタビューなどで言っていた通り
初回から戦国の乱世を生き抜く真田一族を、家族愛を通して描かれていて
期待していた通りのドラマに成りそうです
さすが 三谷幸喜氏脚本、毎週楽しみに観たいと思います
NHKも力を入れて
「ブラタモリ」「歴史秘話ヒストリア」「知恵泉」で取り上げており
私たちの知らない真田時代の上田城、真田丸の真実が明らかとなり
更に興味が増しました、そして先人たちの底力「知恵泉」では
「小さな組織で生き抜け!~名将真田一族、戦国の極意」と題して取り上げて
「真田を知れば、人生の逆境は怖くない!」は正に今に通じ尊敬します
真田の領地内、吾妻衆横谷左近を筆頭とする四兄弟も真田に仕え
今の私に繋がっていると思うと、ご先祖様に感謝の一言です
尚 今回より出版物の中に「ヨコタニ」と振り仮名されていることから
横谷(よこや)と致します。宜しくお願いします
この書状は慶長5年1600年8月1日 (関ヶ原の戦い慶長5年9月15日の年)
下野国犬伏の別れで昌幸、信繁は信之と敵味方に別れ
石田三成に従う事となり、信州上田城に帰城する際
徳川方との衝突を避けるため沼田を経由し鳥居峠越えをしました
小松姫に沼田入城を拒否 された話は有名です
その際無事帰城出来たのは横谷左近の働きゆえ
松尾村関林村から九拾貫文(当時は領地を表す単位)を与えるとの書状です
しかし 9月15日西軍は敗れ昌幸は九度山に蟄居する訳なので
履行されなかった可能性もあり興味深い書状でもあります